プラセンタの歴史:中国では
プラセンタの歴史として中国では、紀元前から秘薬として重宝され、紀元前3世紀には、プラセンタが傷の治療薬として使われていたようです。

中国には、中国4000年の伝統医学にもとづいた美容学があるといいます。
楊貴妃は様々な美容方をおこなっていたようですが、プラセンタももちろん使っていたのです。
また秦の始皇帝(紀元前259年〜紀元前210年)の時代にはプラセンタが不老長寿の薬として珍重されていたそうです。
プラセンタが漢方薬として初めて書物に登場するのは、紀元後10世紀の頃で、唐の時代に編纂された『本草拾遺』(ほんぞうしゅうい)」に、「人胞」(じんぽう)「胞衣」(なえ)という名前でプラセンタが薬として紹介されています。
陳蔵器による『本草拾遺』は、『証類本草』に「蔵器餘」として記録されています。この書物は、人肉などの薬効について書かれていることで有名です。
のちの明の時代の薬物書『本草項目』(1596年では)、プラセンタは「紫河車」という名で呼ばれています。
現代中国の薬事典でも、プラセンタは「紫河車」として収載されています。
「紫河車」の語源ですが、「紫」は"帝王"を意味し、「河車」は"北方の生気"即ち精霊に通ずる言葉をあらわしていて、魂の肖像のように考えられていたようです。
紫河車(しかしゃ)処方名:胎盤粉・杜河車・人胞
基原:ヒトの胎盤(プラセンタ)を火であぶって乾燥したもの。
性味:味は甘・鹸、一世は温。(帰経:心・肺・腎経)。
薬理作用:益気・養血・補精。強壮作用がある。
紫河車は、ヒトプラセンタを火であぶって乾燥したもので、エストラジオール、プロゲステロンといった女性ホルモン、軟骨成分のグルコサミン、ガラクトース、マントース、多種のアミノ酸等を含み、益気、養血、補精といった強壮作用をもつほか、女性の生殖器、卵巣、乳腺の発育を促進して胸を大きく豊かにします。
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